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【アラベスク】  第2章 真紅の若葉



第2節 丘の上の貴公子 [14]




 詩織は、美鶴がほんの幼い頃からそうだった。何事が起こっても「まぁ、仕方ないよ」と両手を広げて首を竦める。

 顔も覚えていない美鶴の父親と離婚し、女手一つで娘を育てていく。中卒の彼女には、派遣に登録しても大した仕事がまわってくることもない。運良く仕事につけても、その楽観過ぎる性格が災いしてか、周囲からはいい加減な、手抜き仕事しかこなさない従業員だと思われることが多かったらしい。結局は若い頃世話になった世界へ舞い戻る形となった。
 それでも彼女は、不平を漏らすことはなかった。少なくとも美鶴の前では、自分の選んだ人生を後悔するような言葉は吐かない。だから美鶴は、自分の置かれた状況が他と比べて劣るモノだとは、考えたこともなかった。

 だが、違った

 自分は、自分の知らないところで、その境遇を軽視されていた。

 あの子の家、貧乏なのよ
 田代さんだって、友達だとは思ってないんじゃない?

 私がバカだった。母の楽天主義に騙されて、毎日の生活に満足していた自分が、バカだったのだ。
 澤村(さわむら)にフラれ、親友だと思っていた田代(たしろ)里奈(りな)からの仕打ちを受けて、美鶴はそう気がついた。
 だから、母には協力する義務があると思った。
 私がこんな状況に陥ったのは、半分…… いや、ほとんどは母の責任なのだ。後先も考えず離婚などして、適当に食い繋ぐ生活に自分を巻き込んだ母に責任がある。

 ―――――美鶴はそう思った。

「唐渓高校受けるから」
 前置きも無しにそう告げた。そのまま無言で見つめる先には、ボサボサの頭でスナック菓子を頬張る母の姿。テレビの前に座り込み、目を丸くしてる。
 だが母は、美鶴の予想に反して、取り乱さなかった。いつもの金切り声で「唐渓っ! 冗談でしょうっ!」なんて喚きだすのかと思っていた。
「いいんじゃない。受ければ」
 美鶴の方が、絶句した。
「でも、唐渓って言ったら隣の県よね? 結構遠いよね? 遠距離通学するつもり?」
 いくら地元出身ではない、しかもかなり学歴に疎い母でも、唐渓の名は知っているようだ。
「電車賃払うくらいなら、いっそ引っ越した方が安くつくかもね」
 軽く言って、再びテレビへと目を向けた。
 そして詩織の言葉通り、美鶴が合格すると、二人で引っ越した。
 唐渓高校は、良家の子女が通う私立高校だ。だから、場所もそれなりの場所にある。
 家賃の関係で近くに引っ越すことは出来なかったが、それでも乗り換えなしで通えるところを、母は見つけてきてくれた。
 それまで勤めていた店は辞め、ママの紹介だという別の店で働き出した。

「当然だ」
「何が?」
 思わずつぶやいてしまった。意味のわからない聡がポカンと口を開けている。
「何が当然なの?」
 気がつくと、山脇はすでにソファーから立ち上がり、出口で二人を促している。
「別に」
 ぶっきらぼうな美鶴の言い草に、これ以上機嫌を損ねたくないという(おも)(わく)があったのだろう。聡も山脇も、深く追求しようとはしなかった。その代わり――
「腹減った。せっかく用意してもらったんだから、食いに行こうぜ」
 詩織のようなモノの考え方だと、美鶴は内心で嘲笑う。だが表情には出さずに、二人の後へ続いてダイニングへと足を向けた。
 用意してもらったスパゲッティーを三人ですすっているところへ、霞流が静かに入ってきた。
「いかがですか?」
 問われて、一瞬何のことだかわからず手を止める。
「あっ 美味しいです」
「よかった」
 自分で作ったワケでもないのだろうが、美鶴の言葉に霞流はニッコリと目を細める。
「そうか? ちょっと塩っ辛くねーか?」
 手にしたフォークをブンッと振って、聡はなぜだか不機嫌そう。
「聡っ 食器振り回さないでよ」
「うっせーなー。お前いつからテーブルマナーにうるさくなったんだよ」
「テーブルマナーって言うほどのモンでもないでしょう」
「お前だって、昔はボロボロこぼしてばっかでよぉ よくおばさんに怒られてたじゃねーか」
「そんなの今は関係ないでしょうっ」
 ふふふっと微かな笑い声。
「そうでしたね。聡くんは美鶴さんと幼馴染でしたね。あなたもですか?」
「ルークは違うぜ」
 答えようとする山脇より先に、聡が口を開いて相手をする。
「ルークじゃないよ」
 見ると、山脇の鋭い視線。
「喧嘩売ってるの?」
 低く静かだが力強い言葉に、聡は首を竦める。
「瑠駆真くんは違うのですね」
 そこで霞流はいったん口を閉じ、やがて三人が並んで座る向かいの椅子に腰を下ろした。両手を組んで顎を乗せる。
「で、お二人とも、学校は?」
「あっ」
 あ……
 美鶴は腰を浮かせて両脇の二人を交互に見た。ちなみに、右が聡で左が山脇。
「アンタ達」
 だが聡は、涼しい顔で見返す。
「何? お前、今頃気づいたの?」
「………学校は?」
 霞流の質問を繰り返す形で問いかけると、山脇が悪戯(いたずら)っぽく笑った。
「サボリ」
「サボ ―――っ」
 ………おい
 何を言えばいいのか頭がまわらない。
「サボリって、アンタ達……」
「だってさぁ、心配で授業なんて受けてらんねーよ」
「うん。授業よりこっちの方が大事」
 あのなぁー
 二の句も付けずに、ただ口をパクパクさせるばかり。そんな三人を見ながら、霞流は前髪を掻きあげた。
「羨ましい限りですね」
 ハッと息を呑む。同時に頬が熱くなる。
 どの発言をどう解釈されたのかはわからないが、なんとなく誤解されているような気がする。
「あの…… 別にこの二人は……」
 狼狽しながら言葉を捜す美鶴の姿に、霞流が首を傾げた時だった。
「慎二様」
 いつの間に入ってきたのか、老人が入り口で頭を下げている。たしか木崎(きざき)とか言ったはずだ。以前まで、駅舎の施錠の仕事をしていた老人。美鶴の存在を霞流慎二に伝えた人物。
 木崎の登場に、だが霞流は驚きもしない。
「みえたのか?」
「はい」
「お通ししてくれ」
「かしこまりました」
 (うやうや)しく一礼し、ダイニングを出て行く。その姿を見送ってから、霞流はこちらへ向き直った。
「お食事が済みましたらお越しください。案内させます」
 そう言いながら立ち上がる。麺を頬張ったまま呆気に取られる三人。
「あの……… 何か?」
「制服を仕立てましょう」
 え?
「仕立てる?」
「えぇ、職人を呼びましたので。採寸にはそれほど時間はかかりませんよ。制服ですので、デザインも素材も決まっていることですし、すぐに済みます」
「しょ……」
 職人って……
「ちょっと、それって……」
 ガタリと勢いを付けて立ち上がる。
「あのっ」
 状況が理解しきれていない美鶴の表情に、霞流は背を向けて肩越しに振り返る。
「さきほど、聡くんや瑠駆真くんからは聞きました。古着で探そうとされているようですが、もし見つからなかったらどうします? 制服がなければ登校は無理でしょう。見つかるまで、学校を休まれるのですか?」
 きっと、美鶴が髪を切ってもらっている間に聞いたのだろう。
 霞流の言い分には非もなく、美鶴は言い返す言葉もない。だが
「仕立てるって言ったって、すぐにできるんですか?」
「大丈夫ですよ」
 食い下がろうとする美鶴にも余裕の笑み。
「とりあえず既成されているものも、サイズをいくつか用意してもらうよう伝えてあります。明日着ていく制服も、用意できると思いますよ」
「じゃあ、それだけで…」
「冬服だけですけどね」
 美鶴の言葉を、やんわりと妨げる。
「もうすぐ衣替えですよね? 六月に入ったら夏服が必要になるはずでしょう? そちらは作らなければ」
「つ…… 作るなんて。既成のモノで構いませんよっ!」
 ってか、制服まで用意してもらうなんて
 だが、霞流は引き下がらない。
「既成のモノでは身体に合わないと、お母様からお伺いしましたよ」
 あのおしゃべりめっ!
「どうせなら、身体に合ったモノを用意した方がよいでしょう。その方が、こちらも援助のし甲斐があります」
「こ、衣替えまでにはまだ時間がありますっ! 冬服だけで―――」
「夏服はどうご用意されます? 古着を探しますか? もし、見つからなかったら?」
「冬服着ますっ!」
「そんなご無理を」
 朝食の時とは違った角度で差し込む陽の光。目元に落ちた影が、逆に瞳を際立たせる。
「梅雨や真夏の時期に、冬服を着て過ごせるはずもないでしょう。蒸れて風邪をひくだけです。それに最近では、熱中症なんて症状で倒れる人も多い。冬服を着て体温が上昇すれば、それだけで体調を崩してしまいます」
「私っ 体力には自信ありますっ」
「体力だけで克服できるモノでもないでしょう?」
「でも… もし調子が悪くなったって、熱中症なんて一日休んでれば治るもんだし」
「そのたびに学校を休まれるのですか? 感心しませんね」
 そう言って背を向け、食堂を出て行きがてらにもう一度振り返った。背中で束ねた薄色の髪が、陽の光を受けて楽しそうに跳ねる。

「ズル休みはいけませんよ」

 ――――――――っ!

 その視線が、美鶴のすべてを抑え込む。
 (いさ)めるような口ぶりとは反対に優しい瞳。それでいてどことなく小意地悪さを秘め、少し鋭い。楽しんでいるようにも見えるのは、五月の木漏れ陽の悪戯か?
 静かながらもどことなく圧倒的な余韻を残して、彼の姿が壁の向こうへ消えた。
 ズル休み………って
 去り際の台詞に、生唾を飲み込む。
 結局、大した反論もできなかった。
 オーダーメイドの制服なんて、聞いたことないぞ。唐渓の生徒だって、そこまで金かけてるヤツはいないだろうに………
 茫然と霞流の消えた先を見つめる姿に、聡は憮然と口を開く。
「おめー、何紅くなってんだよ」
 刺すような言葉に我を取り戻す。
「は…… はぁ? 紅くなんかなってないわよっっ!」
 慌てて椅子に腰を下ろし、麺を口いっぱいに頬張った。







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